アメリカの市民生活COLUMN コラム

グリホサートの安全性に疑義

「グリホサートは安全」という主張の根拠となっていた26年前の論文。それを掲載していた学術誌がこのほど取り消しました。中身の信ぴょう性に重大な疑義が生じたためです。

科学的議論や各国の規制に影響

 取り消された論文は、査読付き学術誌『規制毒性学および薬理学』上で2000年に公開されたもので、タイトルは「除草剤ラウンドアップとその有効成分グリホサートのヒトに対する安全性評価とリスク評価」。
 ニューヨーク医科大学の研究者ら3名による共同執筆で、「グリホサートは一般的な曝露レベルでは人体に健康リスクをもたらさない」と結論付けていました。
 同論文は、グリホサートに関する研究で最も引用された論文の上位0.1%に入るなど、グリホサートの安全性をめぐる議論に四半世紀もの間、大きな影響を及ぼしてきました。
 また、各国のグリホサート規制や、ガン患者らが開発元のモンサント社(2018年にドイツのバイエル社が買収)を相手に起こした裁判にも影響を与えてきたと指摘されています。
 そんな重要な論文を同誌は昨年12月3日、取り消したと発表しました。
 理由について、共同編集長のマーティン・ファン・デン・ベルグ氏は、「取り消しは本論文およびその結論の学術的誠実性を損なうと考えられるいくつかの重大な問題に基づいている」と述べ、中身の信ぴょう性に重大な疑義が生じたことを挙げました。
 そして、具体的に次のような問題点を指摘しました。

執筆の見返りに企業から報酬?

 まず、発ガン性および遺伝毒性の評価に関して、論文はモンサント社内の研究者が行った未発表の研究のみに基づいて結論を書いており、外部の専門家が行った長期慢性毒性や発ガン性に関する研究成果を考慮していない。
 次に、裁判の過程で明らかになった同社の内部資料などから、論文の執筆に同社の関係者が深くかかわっていた可能性がある。それにもかかわらず、論文の中でそれを明示しなかった。
 これらはすべて、学術的誠実性や学術的独立性を損なう行為にあたる。
 さらに、公開された訴訟資料には、論文の著者が執筆の対価としてモンサントから金銭的報酬を受け取った可能性を示す記述があり、倫理面からも学術的客観性の観点からも看過できない。
 執筆者3人のうち2人はすでに他界。残る1人に同誌が抱く様々な懸念について説明を求めましたが回答がなく、今回の決定に至りました。

消えぬ発ガン性疑惑

 グリホサートの安全性をめぐる議論は少なくとも1980年代から続いています。
 世界保健機関 (WHO) 傘下の国際ガン研究機関 (IARC) は2015年、グリホサートは「ヒトに対しておそらく発ガン性がある」との見解をまとめました。
 これに対し、アメリカの環境保護庁(EPA)や欧州連合(EU)の欧州食品安全機関(EFSA)は「ヒトに対して発ガン性の可能性は低い」との結論を出しています。
 専門家や専門機関の間で意見が割れていますが、その原因の一つが、今回掲載が取り下げられた論文の存在とされています。
 ファン・デン・ベルグ氏は、論文は「グリホサートおよびラウンドアップに関する規制上の意思決定に数十年にわたり大きな影響を与えてきた」と明言しています。
 実際に、EPA は2016年のリスク評価で同論文を引用し、その後「発ガン性の可能性は低い」との結論を出しています。
 EPA の担当者は他にも多くの論文を参照していると強調し、影響を否定しています。
 しかし、論文の取り消しを強く働きかけてきたニュージーランド・ヴィクトリア大学の研究者アレクサンダー・カウロフ氏は、「EPAはたとえ同論文に依拠していなくても、同論文に根拠して書かれた他の多くの論文に依拠している」とEPAに反論しています。
 今回の措置は今後の裁判の行方に影響する可能性もあります。アメリカでは2018年、カリフォルニア州のガン患者がモンサントを訴えた裁判で総額2億8900万ドルの損害賠償を勝ち取ったのを皮切りに、各地で同様の巨額訴訟が相次ぎ、いまだに続いています。
 バイエルは訴訟に歯止めをかけようとロビー活動を展開してきました。
 その成果が出て、トランプ政権は昨年12月2日、バイエルの意向を汲んだ意見書を最高裁に提出しました。最高裁が意見書に同調すれば、バイエルに対して起こされている数千件の訴訟に即座に終止符が打たれる可能性もあります。
 しかし、その翌日に掲載誌から論文の取り消しが発表されたことで、裁判の行方はますます不透明になってきました。

論争に再び火が着く可能性も

 さらに、俄然、注目を集めているのが EPAです。EPAは市民団体などから訴訟を起こされ、その結果、今年中にグリホサートのリスク評価を見直すことになっています。
 ただ、トランプ大統領から任命された現在の EPA 幹部には、化学業界団体の元ロビイストなど化学業界の出身者が複数いて、農薬や有機フッ素化合物(PFAS)の規制強化には非常に消極的です。
 そのため、再び「グリホサートは安全」との結論を出す可能性は十分です。
 しかし、かりにそうした結論を下した場合、安全性の根拠としてきた重要な論文がなかったことになった今、多くの人が納得できるような説明が果たして可能なのか、非常に見ものです。
 EPAの対応次第では、グリホサートの安全性をめぐる議論に再び火が着くかもしれません。